ここから見える景色の、その向こうへ

Copyright and allright reserved for LIFE@ Design.

兵庫県の教員「K.」の日常を綴ったウェブサイト

LIFE@ Blog 映像・音楽・書籍 池井戸潤『銀翼のイカロス』

映像・音楽・書籍  

 4月にドラマ「半沢直樹」の続編がTBS日曜劇場に帰ってくるという話を聞いて、最近は本棚に眠っている池井戸潤氏の半沢シリーズ原作を読み漁っては、その内容を思い出しています。
 池井戸潤氏の作品といえば「下町ロケット」や「ルーズヴェルト・ゲーム」「陸王」など、TBS日曜劇場枠ではすっかりお馴染みの存在ですが、私が初めて池井戸潤氏原作のドラマに触れたのは、この半沢シリーズでした。バブル入社組である主人公・半沢直樹に襲いかかる数々の理不尽な要求、そして追い詰められた半沢の「やられたらやり返す、倍返しだ」の決まり文句で展開する逆転劇に、当時はハラハラさせられながらモニターに釘付けになっていたのを覚えています。

 『銀翼のイカロス』の内容は、続編ドラマの後編で取り扱われることになりますが、この作品を読んだのは2014年、今から6年近く前のことになります。ちょっと以前に読んだ感覚なのに…年月の流れは速いものですよね。で、どのような内容だったかしらと読み返していたところで、半沢直樹の師匠にあたるある銀行員が発した、以下の台詞が強く印象に残りました。

 そうですかね。あんまり無欲なのも考えもんでしょう。
 ただ、欲にも、身の丈ってものがある。身の丈に合わない欲を掻くから、面倒なことになる。人も層だし、実は会社だってそうだと思いますね。できもしないことをやろうとするから無理がある。結局、そんな会社は誰も幸せにしない。社業もうまくいかないし、社員だってストレスで参っちまう。全ての会社には、その会社にあった身の丈の欲ってのがあるんですよ。

 この台詞を読んだとき、ふと思いました。学校経営や教育政策・教育行政にも同じ事が言えるのではないだろうか、と。
 それなりに学校を取り巻く政治・行政の情勢をある程度学んで思ったことなのですが、昭和中期頃からなのかな、世界や社会の情勢の変化に伴って、学校に求められる役割がじわじわと広がってきて現在があるのですよね。さらにこれからは、人口減少やAI・ロボットの参入による地域社会の縮小への対応が、「コミュニティ・スクール」として期待されています。(現在は「導入の努力義務」に留まっていますが、現政権の教育再生実行会議の動向を見ていると、全ての学校への導入が義務化される流れは出来上がっているようです)

 でもね、私は思うのです。学校には学校の、先生には先生の「身の丈」というものがあって。
 その身の丈を超えたあまりにも大きなパフォーマンスを求められているのが、学校の現状ではないのかなと。学校教員って、法や制度に明るい人は少なくて、無茶振りをされてもそれを気合いで乗り越えてしまうことが多いのですよね(もしかすると本当の意味で乗り越えてはいないのかもしれません)。こうしたことを繰り返して、教員志望者の減少や教員による体罰、教員間の傷害等、数々の不具合を生んでいる現在に繋がっているのではなかろうかと。

 学校にあった「身の丈」、先生にあった「身の丈」とはどれだけのものなのでしょう。

 2019年1月の中教審答申では「学校及び教師が担ってきた業務の在り方」が示されましたが、その後の一年間で学校現場では何が変わったのでしょうか。恐らくは、報告上の数字の部分が調整されただけで、現状はあまり変わっていないのではないのかな。実際、部活動の顧問をやりたいという動機で現場に入り、教材研究そっちのけで部活動指導に力を注いでいる教員をよく見かけます。
 政府や自治体教委はもとより学校管理職や個々の教員が、持てる力を注ぐべき本来の業務について、真剣に考えるべき崖っぷちの段階にきているのではないかなと強く思いました。



この記事にコメントする

名前を入力してください 正しいメールアドレスを入力してください 正しいURLを入力してください タイトルを入力してください タイトルに不適切な言葉が含まれています コメントを入力してください。 コメントに不適切な言葉が含まれています パスワードを入力してください パスワードは半角小文字英数字で入力してください