先週、古くからの友人が、僕に1通のメールを送ってきた。彼が僕にメールを送ってくることなど珍しいことで、少々驚きがあったが、また、嬉しくもあった。
本文の前半は、自分の近況について書いてあったが、本題は、後半にあった。読み進めていくごとに、彼が僕にメールを送ってきた理由がわかってきた。彼は今、自分を取り巻く人間関係について悩みを抱いている。しかもその悩みを身近にいる誰にも相談できず、己の内に背負い込んだまま、苦しんでいるのだ。そんな中で、話を打ち明ける相手として、僕を選んだのだ。
彼が、悩みを打ち明ける相手として、僕を選んでくれたことは光栄に思う。おそらく彼の力にはなれないと思うが、彼の話を聞くことで彼の重荷が少しでも軽くなるのであれば、それでいい。
そんなことを思っていたら、ふと、僕の頭を過去の記憶がよぎった。
「強くなりなさい。逃げちゃあダメ。自分で立ち向かう強さを持ちなさい。」
幼い頃に、母が僕に言った言葉だ。母だけではない、学校の先生、テレビの中の人たち・・あらゆる人たちが口を揃えて言う、世間では美徳とされていることだ。
しかし、問題を、自分一人だけで処理することは「強さ」で、弱音を吐くことや逃げることは「弱さ」なのだろうか?
本当にそうなのか?最近、そう思えてきた。
弱音を吐いたり、逃げ場所を作ることは、一見、「弱さ」とも取れるけれど、そうすることで、自分が抱える問題を多少は解決できるはず。また、そうすることで自分を許すこともできる。
それって、「強さ」なんじゃないのかな?
逆に、問題事を自分一人で抱え込むことは、辛く、苦しいことだ。自分だけで処理できるのならともかく、自分だけではどうしようもない悩みや問題を抱えてしまったときに、逃げるべき場所を確保できなかった人間ほど、弱く、脆いものはないだろう。
こう考えると、逃げること、一歩退くことも、生きるために必要な一つの術(すべ)なんだな、と思う。
また、自分は、誰かにとっての「逃げ道」でありたいと、切に思えるのです。
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