ここから見える景色の、その向こうへ

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兵庫県の教員「K.」の日常を綴ったウェブサイト

LIFE@ 仕事で沖縄に行ってきました。

 



来年に予定している修学旅行の下見で、沖縄県へ行ってきました。沖縄の地を踏むのは実は初めてだった自分は、「ハブが、ハブが・・・!!」とビクビクしていたとかしていなかったとか(笑。
沖縄の景色は、内地のそれとはずいぶん違いました。まず気になったのは、住宅のカタチ。こちらの住宅とはちがって、屋根が平らなんですよ。ええ、学校の屋上みたいな感じで。おそらく、度々来る台風のことを考えてのカタチなのでしょう。実際、台風で飛ばされた三角屋根のところがありました。住宅のカタチまで変えなければならないような気候・・・・壮絶ですね。



昼食は、沖縄名物のソーキそばを頂きました。
麺は、そばというよりも、コシの良い「きし麺」という感じ。その上には、豚の脇腹のお肉が角煮になって、どん、どん、どん!と3つ乗っていて、驚きのボリュームです。これだけで、腹いっぱいになりました。



沖縄平和祈念資料館に展示されている、沖縄戦当時の魚雷と戦車のキャタピラです。これらの遺物は、六十数年という時を超えて、この地が戦場であったことを物語っています。

【追記】
沖縄南部には、沖縄戦当時の不発弾が大量に埋まっていて、土木工事などで地面を掘り返すたびに出てきて、自衛隊の爆発物処理隊が撤去するそうです。(もちろんその度に周辺住民は避難を余儀なくされています)

「こちらでは頻繁に不発弾が出てきていますが、新聞報道でも片隅に小さく載る程度で、住民にとっても日常化してしまっています。そのような、非日常が日常化している現実も、本土の方々に理解していただきたいのです。」

という現地のガイドさんのコメントがありました。
この世界にある様々な現実、「知らなかった」といえばそれまでなのかもしれませんが、「知らない」ままでいるよりも、知る努力をすることが、大人であれ子どもであれ、我々には必要なのだと、切に思います。



沖縄県南部に沢山存在する自然壕(ガマ)。沖縄戦当時、住民が戦火を逃れ生活をしていたこれらの自然壕。コウモリが根城にしているようなこの場所を、当時の住民は、生活の場とせざるを得なかったのですね。(実はその場さえも住民たちは奪われてしまったわけですが)
この地に残る壮絶な記憶を、我々はどう受け止め、何をすべきなのか。戦争とは、我々に何をもたらすのか。そんな疑問をこの光景は我々に投げかけてくるような気がします。



佐喜眞(さきま)美術館の屋上から見える、普天間基地。沖縄は、その面積のうちのかなりの部分を米軍基地に占められています。僕の好きな桜井和寿さんの曲の詩に、「僕が初めて、沖縄に行ったとき、何となく物悲しく思えたのは、それがまるで日本の縮図であるかのように、アメリカに囲まれていたからです」という一節がありますが、まさにそんな状況。かのベトナム戦争やイラク戦争においても、この基地からたくさんの爆撃機が出撃したそうです。憲法において、戦争を否定している我が国が抱えるこういった矛盾を、我々はしっかりと受け止めることが大切なのでしょうね。

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