ここから見える景色の、その向こうへ

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 まず最初にひとつお断りを…今回の記事はLinuxに関する、いつもと異なる毛色の内容です。馴染みのない方は「ちょっと何言ってるのか分からない…」といった印象を持たれるだろうなと思いますが、備忘録代わりの記事と捉えていただければと思います。

 LinuxディストリビューションのひとつであるUbuntuの新たなバージョン20.04LTSが4月に正式リリースされました。このバージョンではLinux5.4のカーネルが採用されていて、exFatフォーマットをネイティブでサポートしています。
 SDカードをexFatでフォーマットして使うことが多かった私は、これまでLinuxではexfat-fuse等のパッケージを通してアクセスをしていましたが、ファイルコピー中はシステム全体が重くなってしまい、難儀していました。
 そんな中で、Linux5.4でexFatが使えるようになったことを知って、家にあるRaspberryPiのUbuntuのバージョンを19.10から上げました。

sudo apt update
sudo apt upgrade

 作業はSSHを使ってリモートで行いました。バージョンを上げる前に、OSのアップデートを確認します。

sudo do-release-upgrade

 その後OSのアップグレードのコマンドを実行します。
 「なるべくならSSHを使わないでね。失敗したとき大変だから…。」と英文でメッセージが出てきましたが、事前にバックアップを取っていたので、そのまま進めました。ほかの方のブログを拝見すると、30分〜1時間程度で終了しましたと仰る方もいましたが、私の場合(RaspberryPi4 4GB)だとがっつり7時間かかりました。

 再起動後はさしたる不具合もなく、バージョンアップ作業は無事終了しました。

 で、exFatのボリュームをfuse無しでマウントできるのか、実際に試してみました。

 結果、マウントエラーが表示され、exFatのボリュームをマウントすることはできませんでした。
 cat /proc/filesystems でファイルシステム一覧を表示しても、exFatの表記はありません。



 Linux5.4でネイティブ対応されているはずなのに何故だろうと不思議に思いGoogleで検索してみたのですが、日本語表記の記事では該当するものはありませんでした。
 その後も粘り強く記事を探すこと数時間…この話題について英語でやりとりをされている記事を見つけました。


 この中でのやり取りを追うに、どうやらRaspberryPi用のLinux5.4カーネルは、exFatサポートの部分が抜け落ちている(といった表現が妥当なのかな)ようなのです。
 とはいっても、exFatサポートの部分をダウンロード・インストールすることはできるようです。

 まず、gitやビルド環境が整っていないなら、インストールします。

sudo apt install git
sudo apt install build-essentisal

 次に、exfat-linuxをダウンロードします。

git clone https://github.com/arter97/exfat-linux

 作成されたフォルダに移動( cd exfat-linux )して、以下を実行してカーネルモジュールをインストールし、アクティブ化します。

make
sudo make install
sudo modprobe exfat

 一連の作業が終了した後、cat /proc/filesystems を実行するとリストの下部に「exfat」が現れ、fuse無しでもexFatボリュームをマウントすることができるようになりました。



 試しに数GBのファイルをexFatフォーマットのSDカードにコピーしてみましたが、コピー中はシステム全体が重くなることもなく、大変軽快に感じました。
 もしかすると同じような現象でお困りの方がいらっしゃるかも知れませんが、この記事が何かのお役に立てば幸いです。(でも作業の実行は自己責任でお願いしますね…)



 先日お話ししました、庭の芝生の間に自生している水草?のようなものについて。

 ピンセットで採取して、水草を水上葉栽培しているプランターに植えてみました。下写真の右側のものがニューラージパールグラスの水上葉で、左側のものが庭に自生していたものを採取したものです。



 比較してみると、うーん、これは…。葉の形状が微妙に違うような気が。 茎の部分も、ニューラージパールの水上葉と比べ、太くて力強い感じがします。
 もしかすると、ニューラージパールグラスが水辺と異なる場所に移ったことによって形状を変えたのでは?…いやいやいや、ナンボ何でもちょっと無理がありますよね。

 まあ、せっかくですので今後しばらく放置して、どのように変化するのか経過を見ていきたいと思います。



 5月になりました。外の気温も少しずつ上がってきて、水草の水上葉育成のシーズンが始まりました。
 我が家では、数年前にベランダで自作した水上葉育成用の循環装置を動かし始めて、ニューラージパールグラスやヘアーグラス、オーストラリアン・クローバーなどを育てています。

そんな最中、庭でせっせとガーデニングに取り組んでいる妻から相談がありました。

「なんかおかしいねん。芝生の間に、ベビーティアーズが生え始めてて…」


ん、んん〜?

ベビーティアーズといえば、小さい葉が可愛らしい園芸店で売られている観葉植物ですよね。
写真にすると右に掲載しているようなものですよね。

そんな植物、ここ10年以上購入した覚えはありませんし、野鳥が種子を運んできたとはとても考えられません。普通雑草の種でしょ、野鳥が運んでくるのは…。

まあ色々考えるより、実際にこの目で見た方が早いだろうということで、妻と一緒に庭に出て、芝生を見てみることにしました。



…確かに、枯れた芝生の中に何かが群生していますよね。
これを近づいてよーく見てみると。

ん?
んんんん〜〜〜〜?



ベビーティアーズとは葉の形状がまったく違う…。

むしろこれって、ニューラージパールグラスに見えませんか?
思い返してみると、水替えの際の排水はホースを使って庭に流しているのですが、群生しているこの場所は、排水しているポイントなんですよね…。またこの場所は、妻によるとあまり水はけのよい場所ではないようですし…。

それにしてもしかし、水草が庭で勝手に水上葉化して群生するなんてことがあるのですかね…?

今後、この一部をピンセットで採種して、水草育成装置へ移してみて、そちらで育成しているニューラージパールグラスと比較してみようかと思っています。



 長い間「出るらしいよ」と囁かれては空振りに終わることを何回も繰り返してきた、iPhone SEの後継機がようやく発表されました。
 数年前からなのかな、世の中のスマートフォンのサイズが徐々に大きくなり始めてしまって、片方の手のひらに収まるサイズのスマートフォンはすっかり鳴りを潜めてしまいました。自慢にもなりませんが、私の手のひらのサイズはとても小さくて、妻はもちろん教え子の女子中学生にも負けてしまうぐらいでしてね…まあそれは良いのですが、世の中に出回っているスマートフォンは私には大きすぎて、なかなか買い替えができなかったのですよ…。そんなだからiPhone SEが発売されたときは心の底から喜んで購入して、その後大切に使ってきました。

 それでも長年使い続けていると、バッテリーの持ちが悪くなったり、普段の動きがモッサリしてきたりと、色々と不具合は出てくるようになって。
 「現行のiPhone SEと同じサイズ(iPhone 5と同じサイズ)で、ApplePayが使えるモデルが出てくれないかな」と願い続けていたのですよ。今回発表されたiPhone SEは、残念ながらiPhone 8をベースとしたもので、サイズは若干大きくなってしまいましたが、現行のモデルの中では一番小さいらしいので、仕方がないのかなと思っています。

 今回はApple StoreでSIMフリーモデルを購入し、もう手元に届いています。
 この新しいiPhoneを今後長く使い続けることになると思いますので、大事に使いたいですね。よろしく、新しい相棒。





 新型コロナウィルスの感染拡大を受け緊急事態宣言が発令されてから、各都道府県では外出自粛の要請が求められています。テレビによる報道を見ると公園や河川敷などに外出しては外の空気に触れている方が結構いらっしゃるようですね〜。家にいて取り組めることと言ってもそんなに多くはないですものね。まあ、気持ちはわかります。

 私は最近、このまとまった時間を使って水草育成にじっくりと取り組んでいます。白化(黄化)してしまった水草(ニューラージパールグラス)を前に、どうしてこうなったのか、鮮やかな緑色を取り戻すにはどうすればよいのか考えています。
 


 水草の調子を左右する要素はは2つ考えられます。ひとつはpHや硬度などといった「水質」、もうひとつは底床に含まれる元素の構成や量といった「養分」です。これらの要素がどうなっているかを試薬で調べて、生体に悪影響の及ばない範囲で手を加えてみるのですが。

 ハマったときには水草の光合成が活発になって沢山の気泡を出すのです。
 その姿はまるで喜んでいるようで、水草がしっかりと生きていることを実感できて楽しいですよ。



拝啓、十五の君へ。

2020/03/16 Mon


 ここのところ体調を崩していて、遅くなってしまったけれど。
 昨今の新型コロナウィルス感染拡大で、中学校生活最後の大切なひとときが消えてしまったけれど。

 中学校教育課程修了、おめでとうございます。

 手の届かない場所から、先生は君たちの背中を押していますよ。




のびる

2020/03/06 Fri


 猫ってたまーにとんでもない格好で眠ったりしますよね。我が家の猫さんも例に漏れず、もの凄い寝相を見せてくれます。・・・リラックスしてくれているということですよね〜。





 数年前までこのサイトでは、自分で描いたイラストを使用して日々の営みを記録していました。
 イラストそのものはどこかで習ったとかそういうものではなくて、学生の頃に授業や講義に退屈したときにノートの片隅に落書きをしていたことを繰り返しているうちに、そこそこ絵心がついた程度のものでして。それでもこのサイトにいらっしゃる方の中には、私が描いたイラストにお褒めのお言葉を下さる方もおり、大変有難く思っていました。
 しかし数年前からかな、ブログには写真を多用するようになり、イラストを描くことがめっきり少なくなりました。

 実は使っているペンタブレットのドライバインストールができない現象にずっと苦しめられていたのですよね。ドライバをインストールしようとすると、下記のようなメッセージが表示されてしまうのです。

このシステムにはワコムの前世代のドライバがインストールされています。インストールを続行するには、旧式のドライバのアンインストールが必要です。アンインストールするには「ワコムユーティリティ(Wacom Utility)」を検索してください。ユーティリティ内のタブレットソフトウェアのヘッディングで「削除」をクリックしてください。アンインストール完了後、ワコムユーティリティを閉じてドライバのインストールを再開してください。

 指示されたとおりワコムユーティリティを検索してアンインストールを実行しても、同じメッセージが何度も出てきて、ドライバがインストールできずで、ワコムのサポートに連絡を取っても「macOSそのものを再セットアップするしかない」と回答があって(ペンタブだけで仕事に使っているMacをまっさらにできるわけがないでしょ)。

 そんなこんなで、iMacでペンタブが使えない状態が二年ほど続いていたのですよね…。

 で、今日ふと思い立って同じような症状で困ってる人いないのかなと思い、ウェブを検索してみたら、このようなコメントをしている方がいらっしゃいました。

このメッセージの原因はドライバが残っているのではなくて,アプリケーションフォルダにBambooのフォルダが残っていた(中身はreadmeのみ)のを検出しているだけだったというお粗末なオチだった。ワコムは相変わらず作りが甘いな。

 早速、iMacのアプリケーションフォルダを見てみたところ…ありましたよ中身がReadmeファイルだけの「Bamboo」フォルダ。このフォルダを消してみたら、あっけなくドライバの再インストールができるようになりました。
 ・・・ワコムのサポートの人、「macOSを再セットアップするしかない」って言ってたよね確か。今度タブレットを買うときがあったら、ワコム製はやめとこう(苦笑。




週末の昼下がり

2020/03/01 Sun


 週末の昼下がり。窓際のキャットタワーに横たわる二匹の姉妹猫。

 これでもかというくらいリラックスしたその姿を目の当たりにすると、ああ、今日も穏やかな一日だなぁと思えるのです。

 彼女たちがその場にいるだけで、心がほろほろとほぐれていくのが分かります。
 我が家に来てくれて、本当に良かった。ありがたや、ありがたや。



 1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々と浮かぶが、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と「容疑者」の娘・西本雪穂〜暗い目をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んでいく。二人の周囲に見え隠れする、いくつもの恐るべき犯罪。だが、根拠は何もない。そして19年…。行き詰まる精緻な構成と叙事詩的スケールで描く傑作ミステリー長編!

 ふと東野圭吾さんの小説が読みたいなと思い、書店に足を運んで手に取ったぶ厚い文庫本がこれでした。文庫本なのにずしりと重みがあってね、これで頭叩かれたら大きなたん瘤できるだろうな…。いやそんなことを言いたいのではなくて(笑。読み終えるのに一週間強の時間を要しました。

 冒頭では廃墟ビルで発見された男性の死体をめぐる捜査について淡々と描かれる中で、様々な人物が容疑者として浮上するのですが、事件は突然あっけない形で幕を引いてしまいます。その後は二人の少年少女の人生が第三者視点で別々に、これまた淡々と描かますが、あらゆる出会いや出来事について「もしや裏で糸が引かれているのでは」という考えるもおぞましい疑念が湧いてきて、頁をめくること自体に緊張が走るようになりました。

 東野圭吾さんの作品はこれまでにそれなりの数を読んできましたが、今までで一番えげつなくて、それでいて切なさがこみあげてくる作品だと思います。

「俺の人生は、白夜の中を歩いているようなものやからな」

 少年・桐原亮司のこの台詞が強く印象に残りました。このとき彼はどんな思いでこの言葉を口にしたのか、それを思うととても辛い気持ちになります。

 余談ですが、この作品はテレビドラマ・映画化されていてですね。小説を半分ほど読んだところで「もう半分ぐらい読んでるんだから、ドラマの第一話だけ見てもいいだろ」と思って、Amazon Primeでドラマの第一話だけ視聴したのですよね。
 …心底後悔しましたよ。原作とドラマで構成が違うのって結構よくあるパターンだってことをすっかり忘れてました。もう二度とこういうことしない(;;)。